1999年3月、当時、神奈川県に住んでいた筆者は、まだ盛岡までしか開通していなかった東北新幹線「やまびこ」に乗って、北海道へ向けて旅に出ました。初めての本格的な乗り鉄&北海道旅行を振り返ってみます。
「ぐるり北海道フリーきっぷ」で5泊6日の北海道旅行へ!
この旅で利用したきっぷは、今はもう発売されていない「ぐるり北海道フリーきっぷ」。JR東日本が発売していたフリーきっぷです。
- 東京都区内~北海道の往復に、東北新幹線+在来線特急、または、北斗星のB寝台を利用可能
- フリーエリアはJR北海道全線で、特急列車の指定席に乗り放題
- 有効期間は5日間(最終日の24時を超えても、乗車した列車の終着駅まで有効)
- 1999年3月当時の価格は33,500円
鉄道のきっぷはコレ1枚で済み、しかも東京~北海道の往復+北海道内乗り放題で3万円台という破格のきっぷでした。
ということで、当時の旅行記を公開します。当時(21年前!)書いたものですので、今とは文体がだいぶ違います。また、デジカメの画像が荒いのはご容赦ください。なにせ前世紀の話ですので(笑)
写真が少なめ、文章多めで、かなり長いですが、お暇なときにでもお読みいただければ。
【1日目】新幹線と特急を乗り継いで東京から札幌へ!
1日目は東京からひたすら列車を乗り継いで札幌へ。
東北新幹線で北へ
1999年3月10日午前8時、東京駅。3月上旬といえば東京はまだ冬。しかし、次第に暖かい日も増えてくるころだ。この日もそれほど寒くはない。対北海道用の格好ではやや暑いくらい。今日は、宿泊地の札幌まで、ひたすら列車を乗り継いで行くのだ。
平日の朝ということもあって、東京駅のホームはビジネス客のほうが圧倒的に多い。観光客はまばらだ。そんな中、8時36分発の東北新幹線 盛岡行き「やまびこ5号」に乗る。指定席をとってあったため座席の心配はなかったが、それほど乗車率は高くないようだ。定刻に東京駅を出発すると、すぐに大宮に停車。東京駅の売店で買いこんだ朝食を食べているとすぐに宇都宮だ。天気はそこそこ。東北地方に入れば少しは雪が積もっているだろうと思っていたが、太平洋側であるせいかほとんど雪はない。そんなことを思っているうちに、車窓が田畑から大きな都市へ。仙台だ。仙台を過ぎると次は盛岡。あっという間だ。盛岡には定刻の11時14分に到着。
当時の東北新幹線は盛岡までしか開業しておらず、盛岡・仙台行きの「やまびこ」と那須塩原行きの「あおば」が走っていました。「やまびこ」の中でも、現在のはやぶさ並みに停車駅の少ないタイプは「スーパーやまびこ」と呼ばれていました。写真が残っていないのですが、たぶん200系だったと思います。
本州最北の県、青森へ
盛岡での乗換え時間はわずか8分。しかも新幹線ホームと在来線ホームは少し離れているので、早足で乗り換えなければならない。それに加え、ちょうど昼時になるため、駅弁も購入。あわただしい乗換えで11時22分発の特急「はつかり7号」に乗車。青森までは2時間ちょっとの旅程だ。はつかりは国鉄カラーの懐かしい特急だ。やや古めかしい感じもするが、地方都市間を結ぶ特急には似合っているように思える。
窓側の座席にすわり、車窓を眺めながら昼食の駅弁を食べる。さすがにここまで北上してくると、あちこちに雪が積もっている。その積雪量が次第に多くなり、北へ進んでいることを実感する。野辺地を過ぎると右手に海が開けてくる。津軽半島と下北半島に囲まれた陸奥湾だ。ここから青森まではこの陸奥湾の海岸線に沿って進む。定刻の13時37分に終点の青森に到着。
かつては上野~青森を結んでいた特急列車。1999年当時は、東北新幹線と連絡して、盛岡~青森・函館を結ぶ特急列車として運転されていました。車両は485系でした。
快速「海峡」で青函トンネルを通過
青森からは快速「海峡」で北海道へ渡る。函館まで直通する「はつかり」もあるのだが、今回は乗り継ぎの関係と、いろいろな列車に乗ってみたかったという理由から「海峡」を選んだ。
青森駅にはすでに快速「海峡7号」が入線していた。寝台列車以外ではいまどき珍しい客車の5両編成だ。JR北海道のキャンペーンで「ドラえもん海底列車」になっていて、客車にドラえもんのイラストが描かれている。さらにドラえもんカーも連結され、ドラえもんのビデオが流されていた。そんなこんなで車内を見学しているうちに、14時12分、定刻通りに青森を出発した。
青森を出てしばらくは海岸線沿いに津軽線を走る。少し雪が舞っていて外はとても寒そうだ。積雪量もぐっと多くなり、あたりは一面の銀世界だ。途中の駅で何度か対向列車と行き違いのための運転停車があった。そして、JR東日本とJR北海道の境界駅、中小国を過ぎてJR北海道線内に入り、小さなトンネルをいくつかやり過ごすといよいよ青函トンネルだ。海峡の車内ではドラえもんの声で青函トンネルの案内が流されたり、トンネルないの現在位置をLEDで示す掲示板があったりして、乗客を飽きさせない。トンネルの壁にはドラえもんの絵がライトで浮かびあがっていて面白い。車内放送によれば、青函トンネルには継ぎ目のない52km(!)のレールが敷かれているそうで、ゆれはほとんどない。竜飛海底、吉岡海底と停車して、ようやく長いトンネルを抜け出す。
北海道に入ると、雪の量はさらに多くなり、途中吹雪いているところもあったりして厳寒の地であることを思い知らされる。函館には定時の16時52分に到着。
青函トンネル開業と同時に運行を開始した快速列車。青森~函館を約2時間で結ぶ。電気機関車が14系・50系客車をけん引する客車列車でした。2002年に廃止、特急「白鳥」に青函連絡の役割を譲りました。
特急「北斗」で一気に札幌へ
函館で列車を降りると、さすがにその寒さは本州とは違うと感ずる。夕方になってきて気温が下がってきていることもあるのだろうが、それにしても寒い。函館は海に囲まれているためか雪は多くないようだが、風は身を切るように冷たい。この函館から今日の最終ランナーである特急「北斗17号」で札幌へ向かう。ホームがあまりに寒いため、夕食の駅弁を購入してそそくさと車内へ。
函館を定刻17時14分に出発。函館を出て30分ほどで山地に分け入る。函館ではほとんど積もっていなかった雪が、ここではもはや豪雪。少し開けたところに出たかと思うと、進行方向右側に巨大な雪原が広がっていた。一瞬目を疑ったが、まぎれもない大沼の姿だった。昨年の夏に訪れたときには、駒ケ岳をバックに青々とした湖が広がっていたのだが…。同じ湖とは思えないほどの変貌ぶりだ。氷結した大沼の上に雪が積もって広大な雪原と化したのだろう。
森を過ぎると、ここからは内浦湾(噴火湾)沿いに進む。もう日は暮れ、あたりはだいぶ暗くなってきていた。伊達紋別で寝台特急とすれ違う。時刻表を見てみると「北斗星2号」だということがわかった。
凍てつく夜の札幌
定刻20時54分、12時間にも及ぶ今日の汽車旅が終わった。ようやく札幌に到着したころには日はとっぷりと暮れ、札幌市内も人影がまばらになっていた。道路はいたるところで凍っていて、ちょっと気を抜くと滑って転んでしまいそうなほど。雪はほとんど積もっていないが、気温も氷点下5度前後で、東京では滅多にないほどの寒さだ。明日は早い列車に乗るため、すぐに宿に直行し、就寝。
【2日目】流氷の町、網走で流氷砕氷船に乗船!
2日目は札幌から網走へ移動し、流氷観光! その後、釧網本線で釧路へ。
早朝の列車で網走へ
2日目は朝6時に起床し、すぐに支度を済ませて宿を出発。札幌の朝は体の芯まで冷えこむ。まだ時間が早いせいもあってか、人影はまばら。
札幌からは特急「オホーツク1号」に乗車。出発前に指定席を確保しておいたが、それは正解だった。1両増結されているようだが、それでも車内はほぼ満席だった。午前7時24分、定刻通り札幌を出発。
とりあえず札幌駅で購入した軽めの朝食に手をつける。約30分ほどで岩見沢に到着。札幌は晴れていたが、岩見沢ではかなり激しい雪。内陸ではやはり雪が多いのだろうか。札幌では積雪は数センチと少なかったが、内陸に行くにつれて雪景色が広がるようになる。旭川あたりでもかなりの積雪があった。旭川からは石北本線に入り、山地を縫って走るようになる。夏に来たときには木々の青々とした感じが印象的だったが、この季節では白一色だ。葉や枝の緑や茶色はほとんど見えない。列車は左右に揺れながらのんびりと走る。
遠軽で進行方向が逆になる。このあたりから、車窓は次第に山から平地へと変わって行く。しかし、相変わらずの一面銀世界だ。ただでさえ広い北海道が、よけい広大に感じる。次第に人家が目立つようになると北見だ。ここで乗客のほとんどが下車した。車内で参考書を広げている学生らしき乗客が多かったので、試験か何かあるのだろうか?
美幌を過ぎると、左手に網走湖が広がる。見事に全面氷結し、さらにその上に雪が積もり、森の中に広がる雪原になっていた。初めて見たとしたらとても湖には見えないだろう。網走湖を過ぎるとすぐに終点網走に到着。
流氷の街 網走
今回の旅で網走に寄ったのは、もちろん、北海道の冬の風物詩、流氷を見るためだ。網走駅の駅そばでお手軽な昼食を済ませたあと、バスで網走港へ。流氷を砕いて走る「流氷観光砕氷船」に乗る。14時ちょうどの便で出港だ。
網走沿岸に流氷が漂着するのは、例年1月下旬~3月中旬ごろ。今回はちょうど時期も終わりに近づいた頃だった。案の定、海岸線には漂着していなくて、遠くに白い塊が見える程度だった。しかし、観光船はその流氷が漂う海域を目指して進んで行く。そして、約15分程度で流氷の中へ!
ここまで来ると、オホーツク海のはるかかなたまで真っ白だ。船はバリバリと大きな音を立てて流氷を砕いて進んで行く。大きな氷塊にぶつかると時折大きく船が揺れる。そして、船が通過したあとには、一面の流氷の中に青い一本の道が出来ていた。デッキに出ると非常に寒いが、その寒さを忘れてしまうほどのダイナミックな体験だった。
北海道の長大ローカル線 釧網本線で釧路へ
流氷観光船の興奮冷めやらぬ中、バスで網走駅へ引き返す。釧網本線で今日の宿泊地 釧路へ。
釧網本線は「本線」とはいうものの、本州のひなびたローカル線以上にローカルな路線だ。網走~釧路の全線を直通する列車は1日に3~4本。乗り遅れたら大変である。
16時19分網走発の普通列車に乗る。釧路まで3時間半もかかるのに、列車はたったの2両。しかも、後ろの1両は途中で切り離されてしまうのだ。こんなところからもこの路線のローカルぶりがうかがえる。車内は観光客よりも地元の乗客が多い、ちょうど下校時間にあたったためか、高校生の姿が目立つ。こんなローカル線でも、地元の人々にとっては貴重な交通手段なのだろう。
網走を出発してしばらくすると、左側にオホーツク海が見えてくる。ここから知床斜里までは海岸沿い、海のすぐそばを走って行く。遥かかなたに流氷が見えているが、斜里に近づくと流氷が海岸に接岸していた。夕方で空が白んできたせいもあって、白い流氷と空の境目の区別が全くつかない。見渡す限り真っ白な世界だった。
網走から約1時間で知床斜里に到着。ここで後ろの1両が切り離されてしまったが、大勢乗っていた賑やかな高校生たちも徐々に減っていき、急に車内は静かになる。斜里を出ると左側に大きな山脈が見えてくる。知床山脈だ。このあたりで日は完全に沈んでしまい、外は雪と闇の世界に。釧路に近づくと右側に広大な湿原(この時期は雪原か?)が広がるはずだが、全く見えない。19時49分、定刻通り釧路に到着。
【3日目】氷の湖 摩周湖・屈斜路湖へ
3日目は、釧網本線沿線を観光。摩周湖と屈斜路湖、そして、美幌峠へ。
快速「しれとこ」で摩周へ
3日目は前日下ってきた釧網本線を北上するところからスタート。午前8時47分釧路発の快速「しれとこ」で摩周へ。「快速」といっても、昨日の普通列車と同じような短編成の気動車だ。車内はほぼ満席。やはり観光客よりも地元民が多いような感じだ。一般的には道東の観光シーズンは初夏~夏にかけてだろうから仕方がないのかもしれないが。
釧路を定刻に出発。約10分の遠矢を過ぎたあたりから左側に広大な釧路湿原が広がってくる。昨日は真っ暗で何も見えず、時期的に釧路「雪原」になっているのではないだろうかと思っていたが、どうやらその考えは外れてしまったようだ。雪はほとんど積もっておらず、枯草と枯木の荒涼とした大地が延々と広がっている。昨年の夏にも同じ快速しれとこに乗っているが、そのときもどんよりとした曇り空で、気温こそ30度も違うのだろうが、湿原の印象はあまり変わらないような気がする。
湿原を過ぎると次第に原生林の中へと分け入っていく。さすがにこのあたりまで来るとかなりの雪が積もっていて、線路のすぐそばまで迫ってくる木々も真っ白になっていた。10時04分、摩周に到着。
リベンジ! 霧のない摩周湖へ!
ここから、今日のメインイベント、摩周湖へ。昨年の夏は予想通り「霧の摩周湖」となっていて、ほとんど何も見えず。冬は霧が出ないとのことで、前回の無念を晴らしに来たというわけだ。
当初の計画では、タクシーで摩周湖まで行き、そこから阿寒パノラマコースのバスに乗る予定だったが、摩周駅の観光案内所で聞くと、駅から徒歩10分ほどのバスターミナルからパノラマコースのバスに乗れるとのこと。早速、雪道を歩いてバスターミナルへ。バスターミナルで美幌までの乗車券を買い、バスを待つ。ちなみに「阿寒パノラマコース」は、摩周湖、屈斜路湖など、道東の観光ポイントを結んで走る路線バスである。観光バスではないので、途中からの乗車も可能だ。このバスも、阿寒湖畔から来たものである。
バスに乗り、町を抜けるとすぐに上り坂に。空はどんよりと曇っていて、時折ちらちらと雪も落ちてくるが、霧は全くない。10分ほど山道を上って行くと急に視界が開け、念願の摩周湖が視界に飛びこんできた!
摩周湖は一面真っ白に氷結していた。カムイシュ島まできれいに見渡すことができた。周囲を外輪山に囲まれたカルデラ湖であるため、外界から隔離されたような静けさがある。「神秘」という言葉がぴったりの湖だ。対岸の摩周岳もくっきりと望むことが出来た。もっと気温が下がるときれいな樹氷も見られるそうだ。
不気味に蒸気を噴出す硫黄山
念願の摩周湖を目に焼きつけたあと、再びバスで硫黄山へ向かう。途中、道路脇でたくさんの蝦夷しかが木をついばんでいる姿が見られた。こういう風景が特別でないことが北海道のすごいところである。
摩周湖から約30分で硫黄山に到着。硫黄山は標高512メートルの円頂丘火山だ。
雪化粧した山の中腹から激しく蒸気を吹き上げる硫黄山。周囲には硫黄の鼻をつくような匂いが立ち込めている。摩周湖の静けさとは対照的に、「動」のイメージを持つ硫黄山。蒸気が噴出している付近は雪が溶け、岩肌は黄緑色に変色していた。蒸気は熱いのだろうが、ちょうど吹雪いてきてものすごく寒かった…。
こちらも氷の湖 屈斜路湖
硫黄山からバスで10分ほどで屈斜路湖畔の砂湯に到着。砂湯でランチタイムだ。屈斜路湖は、釧網本線の線路を挟んで摩周湖とは反対側に位置する。「クッシー」がいると噂になった湖で、摩周湖に比べるとかなり大きい。日本でも6番目に大きいそうだ。
屈斜路湖も、湖岸の一部を除いてほとんどが凍りついていた。その湖岸ではたくさんの白鳥が羽を休めている。湖岸が凍らないのは温泉が湧き出しているためだ。「砂湯」の地名どおり、湖岸の砂を少し掘ると40度前後の温泉が沸いてくる。その温度差で、砂浜のあちこちから湯気が立ち上っていた。
ちなみに、売店のおばちゃんの話では、今年は気温が高いために屈斜路湖名物の「御代渡り」は見られなかったそうだ。やはり北海道も暖冬なのだろうか?
眺望最高の美幌峠
砂湯から屈斜路湖の周囲をまわっていくように走ること約30分、標高525メートルの美幌峠へ。ここは屈斜路湖の眺めが良いことで有名だ。
美幌峠からの眺望。一面氷の湖に中島が浮かぶすばらしい光景に出会った。ここからは屈斜路湖全体を見渡すことが出来る。それにしても、風が強く吹きつけ、非常に寒かった。冬の北海道の寒さを思い知らされた場所でもあった。
臨時特急 オホーツク流氷号 で札幌へ
美幌峠からバスで美幌駅へ。そこから臨時の特急「オホーツク流氷号」で札幌へ戻る。「ノースレインボーエクスプレス」という愛称が付けられているらしい。車両はリゾート型のハイデッカー車で、揺れも少なく乗り心地はとてもよい。車内にはテレビが設置されていて、観光用のビデオや映画を放映していた。
このあと、札幌からは稚内行きの夜行に乗る予定である。旭川で下車して時間をつぶしても良いのだが、睡眠時間を確保するため、札幌から夜行に乗車することに。
美幌14時44分発。2日目に乗った通常の特急車両より座席位置が高いため、車窓も一層よい。旭川を過ぎるとサラリーマン風の乗客が増え、観光列車の雰囲気はなくなった。札幌には定刻通り19時40分に到着。夜行乗車に備えて夕食をとる。
【4日目】最果ての地 稚内・宗谷岬
3日目の夜から夜行急行で稚内へ。宗谷岬を観光したあと、大雪原の宗谷本線・石北本線の車窓を楽しみながら、北見へ。
夜行急行で稚内へ
3日目の宿は、札幌発稚内行きの夜行列車である急行「利尻」だ。22時04分札幌発。この列車にはB寝台も連結されているが、「ぐるり北海道フリーきっぷ」では乗車できないので、普通車の指定券をとっておいた。車内は予想していたよりも乗客が多く、指定席も自由席もほぼ満席であった。
札幌を出てすぐに眠りにつき、目が覚めたのは旭川到着前であった。00時01分に旭川に到着すると、そこで30分ほど停車。知らないうちに乗客の数はかなり減っていた。夜行列車としてではなく、旭川までの最終列車としての利用客だろうか。
車掌さんに「空いている席を自由に使っていいですよ」と言われ、後ろの座席に移動。横になって眠ることにする。そして、就寝。
目が覚めたのは翌朝5時半過ぎだった。外は明るくなり始めていて、乗客のほとんどは起きて支度を始めていた。あわてて飛び起きて身支度を済ますと6時ちょうどに稚内に到着。
稚内に到着した急行「利尻」。言うまでもなく、日本最北端の駅である。線路はここで途切れており、ホームには「指宿方面」と書かれた古い行先表示板が立っていた。
稚内は痛いほどの寒さだった。風が強い上に雪まで落ちてくる始末。3月としては寒い日だったようである。ただ、積雪は思ったほどではなく、数センチ程度であった。歩道の雪は全て凍っていて、まるでスケートリンクの上を歩いているような感じだ。
ここから朝一番のバスで宗谷岬を目指す。だが、そのバスの時間まで2時間ほどある。そこで、まずは腹ごしらえ。稚内駅の待合室では、この夜行列車の到着に合わせて売店や駅そば屋が店を開く。そばを食べたい気分でもなかったので、歩いて2、3分ほどのコンビニで弁当を購入した。
当時、北海道では、札幌から函館、釧路、網走、稚内へと夜行列車が運転されていました。いずれも気動車での運転でしたが、気動車の間にB寝台の客車を挟んで、寝台急行・寝台特急として運転されていました。
日本最北端の地 宗谷岬へ
私と同じように利尻で到着し、バスを待っている旅行者が数人いた。その人たちとともに、8時10分発宗谷岬行きのバスに乗りこむ。稚内の市街地を抜けると、バスは海岸線に沿った道路を走って行く。道は恐らく凍っているのだろうが、かなりのスピードで飛ばして行く。ちょっと恐いくらいだ。空はどんよりと曇っていて、打ち寄せる波も荒い。稚内駅から約50分、午前9時宗谷岬に到着。このバスの折り返しで駅まで戻るため、滞在時間は15分程度。
「日本最北端の地」を表すモニュメントの前での一枚。宗谷岬にはこれといった見所はないが、思ったより観光客で賑わっていた。天気がよければサハリンが見えるはずなのだが、雪が落ちてきそうな曇り空ではとても無理だ。
それにしても寒い。死ぬほど寒い。あまりの寒さのため、とっとと写真を撮って売店へ。売店では証明書と絵葉書を購入。
あまりの寒さのためか、海岸線付近の海水は凍っている。流氷とは違うのだろうか。
9時20分の折り返しのバスで稚内駅へ。10時30分着。駅から歩いてすぐのところに稚内公園などがあったが、吹雪いてきたためおとなしく待合室で時間をつぶすことに。とにかく寒さで最北端を味わった稚内だった。
大雪原の中 宗谷本線を南下
今日の宿泊地は北見。明日、北見から「ちほく高原鉄道」に乗るためだ。そのため、まずは急行サロベツで旭川まで南下する。12時57分稚内を出発。
宗谷本線には、このサロベツ、昨日乗った夜行の利尻、これ以外に宗谷、礼文と、4本の急行が走っている。ただ、2000年春のダイヤ改正で、昼行の3本は特急に格上げされるそうだ。つまり、この急行に乗るのも最初で最後ということになる。
宗谷本線沿線は、北海道の中でも最も何もないところではないだろうか。所々に集落が見られる以外は、荒涼たる雪原が広がっている。内陸に行くほど積雪は多くなり、1メートルを超えるくらいにまで雪が積もっている。集落のまわりも、ほとんどの道路は雪で埋もれていて、道路標識や踏切の頭の部分だけがかろうじて顔を出している。完全に雪に閉ざされた世界になっていた。
16時53分旭川到着。3分乗り換えで網走行きのオホーツク5号に乗り換えだ。乗り換え時間が短いので急いでホームへ行って見るが、まだ列車は到着していない。放送が入り、15分程度遅れていることを告げる。雪のためだろうか。おかげで乗り換え時間に余裕が出来た。
17時10分、定刻より14分遅れで特急「オホーツク5号」は出発。3号車の指定席を取っておいたが、その3号車はすべてグリーン席だった。車掌に聞くと、指定席は5号車に変更になっていた。しかも、どこに座ってもかまわないとのことなので、窓側の席を確保。とはいえ、車内はガラガラだ。
列車が遅れているためか、予定外の通過待ちが多く、遅れはどんどん拡大していく。しかし、今日の旅程は北見で終わりであるため、焦ることもなく、のんびりと汽車旅を楽しむ。とはいうものの、すでに陽は沈んでしまっていて車窓を楽しむことも出来ない。途中、駅でもないところに急に列車が止まる。車内放送が入り、線路をエゾシカが横断していると伝える。野生の動物が特急をも止めてしまうとは、さすが北海道。
20時20分ごろ、予定より30分程度の遅れで北見に到着。予約してあった駅前の宿に急ぎ、夕食を食べて就寝。明日はいよいよ最終日だ。
【5~6日目】ちほく高原鉄道の旅~北斗星で帰京
最終日は、北見から「ちほく高原鉄道 ふるさと銀河線」で池田へ。その後、特急「スーパーとかち」で札幌へ出て、北斗星2号で帰京。
※筆者注:「ちほく高原鉄道」は2006年に廃止されました。
ちほく高原鉄道の旅
最終日は北見~池田を結ぶ3セク「ちほく高原鉄道」に乗車。「ふるさと銀河線」という路線名が、いかにも郷愁を誘う。
北見を9時03分に出る快速「銀河」に乗車。快速とはいえ、ワンマンの気動車1両だけの小さな列車だ。しかし、かなり座席は埋まっている。
北見を出発すると、しばらくは穏やかな農耕地帯が続く。寒かった稚内とは対照的に北見は思ったよりも暖かい。昨夜は北見駅前の電光掲示の温度計が0度を指していたほどだ。そのせいかそれほど雪は多くない。
次第に山が目立つようになってくる。いよいよ高原地帯へ突入するのだろうか? ただ、昨日の宗谷本線とは異なり、駅の周辺は小さな村や町が点在し、ふるさと銀河線が重要な生活の足であることをうかがわせる。山地を抜けると、池田町に入る。池田町は典型的な農業・酪農の町である。車窓からは農地と牧草地ばかりが見られるようになった。すでに十勝平野に入っているらしく、平地が多い。残雪はあるものの、場所によっては地肌が多く露出し、冬の終わりを告げようとしている。
池田町の農耕地帯を走り抜けると、ふるさと銀河線の終点池田に到着。池田から快速銀河はJR線に入る。池田で根室方面からやってきたJR車両を連結し、帯広まで2両編成で走る。池田を出ると30分ほどで帯広に到着。JR車両のほうは根室本線を上って滝川まで行くが、銀河線はここが終点だ。
旧国鉄の「池北線」を引き継いで誕生した第三セクター路線。根室本線の池田駅と石北本線の北見駅を結んでいたが、2006年に廃止されてしまいました。
一路、札幌へ
帯広からは札幌行きの特急「スーパーとかち8号」に乗車の予定だが、1時間ほど時間があるのでここで昼食。帯広名物の豚丼をいただく。
13時26分帯広を出発。札幌までは3時間弱の旅となる。この列車の一番の見所は新得~トマムの狩勝越えだ。何もない峠に線路だけが伸びて行く光景は壮観だ。山地だけあって積雪も多く、列車は雪煙を上げて山々を越えていく。トマムにはスキー場があり、スキー帰りと思われるグループが乗車してきた。
新夕張、追分、南千歳と停車して行く。南千歳では、ちょうど駅の上を大きな飛行機が通り過ぎて行った。千歳空港に着陸する飛行機だろう。その後、市街地が見られるようになり、16時15分札幌に到着。
最終ランナー「北斗星6号」で上野へ
札幌で夕食を済ませ、おみやげを物色してから、「ぐるり北海道フリーきっぷ」最後の列車、北斗星6号に乗車。このきっぷでは北斗星のB寝台に乗車できるのだ。19時24分、定刻通りに札幌を出発。前回の北海道旅行では函館から帰路に、同じく北斗星6号を利用したが、そのときは散々な目に遭っている。東北地方の大雨のせいで東北本線が寸断、北斗星は盛岡で運転中止になり、東北新幹で振替輸送となったのだった。そういうわけなので、今回こそはのんびりと北斗星の旅を楽しみたい。
しかし、特にすることもないし、車窓も見えないので、早々と寝台にもぐりこんで雑誌などを読む。それに飽きるとロビーカーでコーヒーを飲んだりして優雅な雰囲気にひたったりする。そして、青函トンネルに入る頃に就寝。翌朝は10時前に目が覚め、顔を洗い、支度を済ますとちょうど上野に到着。11時12分、定刻通りだった。ほとんど眠っていたので豪華寝台特急に乗ったという感触は全くないが、とりあえず無事に終点まで乗ることができた。
青函トンネルを経由して、上野~札幌を結んでいた寝台特急。個室寝台や、フルコースの料理が出る食堂車「グランシャリオ」を連結し、その豪華さで人気を博しました。当時は1日に3往復も運転されるほどの盛況ぶりでした。北海道への旅では、筆者もよく利用しました。すべてB寝台でしたが…
以上、『北海道鉄道旅行の思い出「ぐるり北海道フリーきっぷ 道東・道北の旅」を振り返る』でした。20年以上前の旅行記ですが、すでに廃止になってしまった路線や列車なども多くあります。こうやって旅行記を書いておくと、鉄道も時々刻々と変わっていくことがわかりますね。
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コメント
ひさ (id:kzlife)さん
こんにちは!
素晴らしい旅路ですね!
北斗星にまで乗られて羨ましい限りです
北海道はやっぱり大きいですね。
また旅行に行きたいです…いつになったら行けるのか…。。。
今回も楽しく読ませていただきました!(*´∀`)
ハヤトさん、こんにちは!
コメントありがとうございます。
当時の北海道は、夜行列車が残っていて、効率的に旅ができました。
ちほく高原鉄道も、今は廃止になってしまいましたね。
この「ぐるり北海道フリーきっぷ」を使って旅行をするときの帰路は、北斗星のB寝台が定番でした。B寝台しか乗ったことないんですけどね。
また旅行に行けるようになったら、北海道に行ってみたいですね~
早く行けるようになるといいのですね。