稚内の主要観光スポットを正味1日で巡る計画を立て、レンタカーを借りて観光してきました。宗谷岬、ノシャップ岬や稚内公園はもちろんのこと、オロロンラインのドライブやサロベツ湿原まで足を伸ばし、荒涼とした道北地方特有の風景や、最北端到達の達成感など味わうことができました。
特急「宗谷」で一気に稚内へ
今回の北海道旅行は、JR北海道が発売している「HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス」という格安フリーきっぷを利用した鉄道旅行です。
「HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス」の使用感などは、以下の記事をご覧ください。
初日に、札幌から特急「宗谷」で一気に稚内を目指しました。札幌~稚内は、400km近くもあり、特急列車を利用しても5時間以上かかります。
とはいえ、特急列車の車内からも、雄大な北海道の車窓を眺めることができます。宗谷本線の車窓を彩るのは、天塩川や、北海道らしい広大な牧場が広がる風景、そして、荒涼とした人の手が入っていない原野。そんな車窓を眺めていると、あっという間に稚内に到着したのでした。
宗谷本線では、旭川方面への復路で、途中下車をしながら旅をしました。そのときの様子は、以下の記事をご覧ください。宗谷本線の車窓も詳しく紹介しています。
特急「宗谷」が稚内駅に到着するのは12時40分。そのあと、その日の午後と、翌日の午前中、列車の時間まで、レンタカーを利用して、稚内周辺の主要観光スポットを周ってきました。
稚内を訪れたらまずはここ! 日本最北端の地、宗谷岬へ
稚内駅の駅前広場のすぐ横にある「ニッポンレンタカー 稚内駅前営業所」へ。じゃらん経由で予約した「北海道★夏のドライブキャンペーン」というので、コンパクトカー(車種お任せ)で、24時間で基本料金4,000円、保険などすべてつけて、税込み6,200円でした。普通に予約すると1万円以上するはずなので、かなりお得に利用できました。
借りたのは日産のノート。普段の生活では車を運転しないですし、レンタカーも久々でした。バックミラーがバックモニターになるなんて、最近の車は進化しているのですね。駐車場に止めるときに大活躍でした(笑)
レンタカーを借りたあと、1日目は、宗谷岬→ノシャップ岬→稚内公園の順で観光しました。
まずは日本最北端の地、宗谷岬を目指しましょう。宗谷岬は、20年前に稚内を訪れた時に、路線バスで往復したのですが、3月の寒い日で、5分くらいしか観光できませんでした。今回は8月。天気はイマイチですが、ゆっくり観光したいと思っていました。
稚内駅前の国道40号線を南下、稚内の市街地を抜けて、国道238号線へ左折すれば、あとは道なりです。国道238号線に入ると、片側2車線の走りやすい道に。しばらく行くと信号も少なくなり、スイスイと走れます。
稚内駅から約30km、40分ほどで宗谷岬に到着です。無料の広い駐車場があるので、そこに車を止めました。
「日本最北端の地」の記念碑です。ここが日本最北端。20年ぶりに訪れました。どんよりと曇っていて、サハリンは見えませんでしたが、「最北端」という最果ての地までやってきたという気分になりますね。
記念碑の横には、間宮林蔵の銅像が建っています。間宮林蔵は、樺太(サハリン)が島であることや、ユーラシア大陸との間に間宮海峡があることを発見した探検家です。
記念碑がある広場の脇には、青い屋根が鮮やかなお土産屋さんがあります。この建物、おぼろげながらに覚えています。20年前に訪れた時は、あまりに寒く、記念碑の写真だけ撮って、そそくさとこのお土産屋さんに避難した記憶が(笑)
お約束の証明書を100円で購入。これは記念になりますね。
宗谷岬の南側にある丘に登ってみます。アスファルトの道があり、丘の上にも駐車場があるので、車でも行けるのですが、木の階段を登ればすぐなので、そのまま歩いていきました。丘の上は宗谷岬公園として整備されていました。
「大岬旧海軍望楼跡」、旧帝国海軍がロシアとの国境となった宗谷海峡周辺を監視するために建てられた望楼です。
望楼跡に登ることもできて、この上からの眺めはなかなかのものです。晴れていればサハリンがきれいに見えるそうですが、この日は曇天。ただ、よく見ると、丘の下からは見えなかった陸地の影のようなものがうっすらと。これがサハリンなのかはよくわかりませんでした。
「平和の碑」と「宗谷海域海軍戦没者慰霊碑」です。第二次世界大戦のさなか、宗谷岬沖で旧日本軍とアメリカ軍の戦闘があり、アメリカ海軍の潜水艦が撃沈。その時の戦死者をはじめ、宗谷岬の防衛で殉職した旧日本軍の兵士など、戦没者を慰霊し、平和を願うために建てられた碑です。
稚内周辺は、日本最北端、国境の近くということもあり、戦争に関連する記念碑やスポットが多くあります。この平和の碑もその一つですね。
1983年に発生した「大韓航空機撃墜事件」の慰霊碑「祈りの塔」です。大韓航空機撃墜事件と稚内にどんな関係があるのかと思ったら、撃墜されたのが当時のソビエト領サハリン近海だったため、稚内に捜索や報道の拠点が置かれたのだとか。
宗谷岬公園の丘の向こうは、宗谷丘陵です。芝生や草原が続く荒涼とした風景ですが、近年、有名な観光スポット「白い道」も宗谷丘陵にあります。クルマでも走れるそうですが、すれ違うのが厳しいほどの道幅しかないということなので、今回はパスしました。
稚内の北側の岬「ノシャップ岬」へ
宗谷岬と宗谷岬公園を観光したあとは、国道238号線を戻り、稚内市街地の少し先にある「ノシャップ岬」へ。稚内の東西に突き出た岬のうち、先ほど訪れた宗谷岬は東側、そして、ノシャップ岬は西側の岬です。
夕陽の名所らしいのですが、相変わらずの曇り空。16時を過ぎて、そろそろ日が傾きはじめる時間ですが、分厚い雲の間から青空がわずかに覗くくらいでした。
ノシャップ岬のそばには、紅白の縞模様が目立つ「稚内灯台」が建っています。高さは43メートルで北海道で一番高い灯台です。それもそのはず、ロシアとの国境にあたる宗谷海峡を往来する船舶を守るための重要な灯台なのですね。
稚内の市街地と宗谷海峡を見下ろす稚内公園
ノシャップ岬を訪れたあとは、稚内市街地のすぐそばにある稚内公園へ向かいます。稚内市街地のすぐ西側の高台にあるため、稚内駅周辺から徒歩でもいけるのですが、このままレンタカーで向かうことにしました。一応、看板がありますが、稚内公園へ登っていく道がわかりづらいので注意です。
休憩所の手前にある駐車場にレンタカーを止めて、まずは「氷雪の門」へ。樺太で亡くなった日本人を慰霊するために、1963年に建てられた慰霊碑です。正式名称は「樺太島民慰霊碑」というそうです。
かつて日本領だった樺太を望郷する高さ8メートルの「望郷の門」、その間に、敗戦から立ち上がった人々を象徴する女性像が建っています。
氷雪の門の近くには、「九人の乙女の碑」があります。終戦から5日後の1945年8月20日、樺太真岡郵便局で業務を終えた9名の若い女性たちが、自ら命を絶ったエピソードはあまりにも有名で、そして悲しいものです。平和の祈りを込めて建てられた慰霊碑です。
稚内公園の高台からは、稚内の街を一望できました。稚内港や防波堤ドーム、稚内駅、駅周辺のホテルなどを一望できます。人口3万3千人の稚内市は、それほど大きな街ではないのですが、まぎれもなく日本最北の街です。
南極に取り残されて命を落とした15頭の樺太犬を供養する「樺太犬供養塔」と、犬ぞり隊として活躍した樺太犬の功績をたたえる「南極観測樺太犬訓練記念碑」です。
稚内公園に南極観測隊に同行した樺太犬の供養塔や記念碑があるのは、犬ぞり隊の犬たちが稚内周辺で集められたことや、この稚内公園の地で訓練が実施されたためだそうです。
タロ・ジロの南極からの生還はあまりにも有名ですが、南極観測隊の樺太犬と稚内にはこのような関係があるのですね。
稚内市が運営する休憩所「稚内市休憩展望施設」です。お土産屋も併設されています。周辺の施設や記念碑を一通り見学したあと、ソフトクリームをいただきました。
稚内市内を散策(稚内港北防波堤ドーム・)
稚内公園から市街地へ戻り、ホテルにチェックイン。まだ明るかったので、稚内市内を散歩してみました。
稚内駅から徒歩5分程度のところにある「稚内港北防波堤ドーム」です。
旧樺太航路の船舶が行き来していたころ、道路や線路に波がかかるのを防ぐために設けられたドームです。建設されたのは1936年(昭和11年)。古代ローマの建築物のような美しいアーチ型のドームですね。1980年(昭和55年)に改修され、現在に至ります。
ドームの中には自由に入ることができます。地元の子供たちの遊び場になっていました。柱は70本、総延長は427メートルにも及ぶそうです。稚内駅周辺に宿泊したら、ぜひ見ておきたいですね。
稚内港北防波堤ドームの横には「稚泊航路記念碑」と「C55 49の動輪」があります。
稚泊航路は、稚内と大泊(現在のサハリン・コルサコフ)を結ぶ航路で、1923年(大正11年)に鉄道省によって開設されました。終戦となる1945年までの約22年間の活躍をたたえるための記念碑です。
そして、「C55 49」は蒸気機関車の動輪です。前述の稚泊航路に連絡する接続列車として活躍していたそうです。戦後は、急行「利尻」などを牽引していました。
稚内港北防波堤ドームの南側には、芝生が敷かれた「北防波堤ドーム公園」があります。もう夕方だったせいか、ほとんどだれもいませんでした。何かイベントなどを開催するには、よさそうな広場です。
稚内港です。それほど大きな港ではないのですが、利尻島(鴛泊)や礼文島(香深)への船舶が発着します。また、季節によっては、前述の ロシア・コルサコフへの航路もあるようです。
稚内駅までやってきました。2011年にリニューアルされた近代的な駅舎になっていて、駅舎内にはカフェやお土産屋、交流スペース、コンビニなどが入っています。
駅前広場にある車止めは、依然の稚内駅のホームがあった場所です。今は駅前広場のモニュメントとなっています。かつての稚内駅の写真も飾られていました。筆者は、1999年に稚内駅に来たことがありますが、おぼろげながらに、この古い駅舎を覚えています。
稚内駅の駅舎に入ってみると、ちょうど普通列車が到着しました。線路の末端部には、以前の稚内駅にあった「最北端の線路」の標識がありました。
今の稚内駅は、ホームも線路も1つだけ。日本最北端の駅で、特急列車も発着する駅ですが、ホーム1本で事足りるくらいの本数の列車しか走っていないのですね。
夕日が丘パーキングを経由してオロロンラインへ
2日目は朝6時過ぎにホテルをチェックアウトして、10時半ごろの列車の時間まで、ドライブを楽しみました。
まずは、稚内市街から日本海の沿岸を通る「オロロンライン」に出る直前にある絶景ポイント「夕日が丘パーキング」を訪れました。
相変わらずの曇天で、残念ながら利尻山を見ることはできませんでしたが、ここからの景色はなかなかのものです。天気が良ければ、ぜひ訪れてみてください。
夕日が丘パーキングからオロロンラインへ出て、南下します。オロロンラインは、小樽から稚内までの約380kmを日本海の沿岸で結ぶ道路です。景色が良いことで知られ、北海道の人気のドライブコースでもあります。
稚内の周辺では、海岸から少し離れたところを走るところもありますが、見渡す限りの原野の中を道路が真っすぐに伸びています。
天気が良くないからか、まだ朝早いからか、すれ違う車もほとんどなく、快適なドライブを楽しみます。信号など全くなく、快適過ぎて眠くなりそうですが(笑)
稚内駅から40分ほど南下したところに、「こうほねの家」(浜勇知展望休憩施設)という休憩施設があります。まだ営業時間前で閉まっていましたが、駐車場から延びる散策路を歩いてみました。
もう8月下旬、北海道の夏も終わりに近づいていたため、多くの花が終わってしまっていましたが、ハマナスがまだ咲いていました。
南国の花のように鮮やかな色をしていますが、ハマナスは「北海道の花」に指定されています。北海道では、海岸線を中心に、ほぼ全域でみられるそうです。
そして、プチトマトのような小さな赤い実がたくさんついていました。ハマナスの実です。ハマナスはバラ科の植物で、このハマナスの実はローズヒップとして食用になるとか。
日本最大の高層湿原、サロベツ湿原
オロロンラインから少し内陸に入ったところに、「サロベツ湿原」が広がっています。サロベツ湿原を見学しに、「サロベツ湿原センター」を訪れました。
大きな駐車場に車を止めて散策します。「サロベツ湿原センター」は営業開始前でした。売店やレストハウスがあります。
サロベツ湿原センターから、湿原の上に木道が整備されていて、散策できるようになっています。
サロベツ湿原はすっかり秋の気配。ひんやりとした風が吹く湿原は、夏から秋への移り変わりの途上でした。
それでも、よく見ると、まだ花をつけている植物があります。この白くて長い花を咲かせているのは「ナガボノシロワレモコウ」。湿原に生息する多年草で、氷河時代からの生き残りだとか。湿原のあちこちで見かけました。
この花を一番よく見かけました。「サワギキョウ」というキキョウ科の花だそうです。日本全国の湿地に生息していて、強い毒を持つ有毒植物です。
「ミヤマアキノキリンソウ」(深山秋の麒麟草)、鮮やかな黄色い花をつけていました。本州では高山植物ですが、北海道では標高ゼロメートルのサロベツ湿原で見られます。
少し高くなった展望台から、サロベツ湿原を一望。
かつて、このあたりは海とつながる大きな湖だったそうですが、枯れた植物が泥炭となって積み重なり、サロベツ湿原ができたそうです。サロベツ湿原の面積は東京ドーム1,400個分で、湿原としては日本で3番目、高層湿原としては日本最大です。そして、サロベツ湿原を含むサロベツ原野は、東西8km、南北27kmにも及ぶ広大な原野。北海道ならではのスケールですね。
サロベツ湿原を散策したあとは、内陸部へと移動して、酪農の町、豊富町から国道40号線へ。国道40号線をひたすら北上して、稚内まで戻りました。
以上、「【稚内・宗谷岬 旅行記】 レンタカーで1日観光! 最果て感と北海道のスケールを満喫する観光コースを紹介!」でした。正味1日弱で、稚内周辺の観光地を巡ってみました。ずっと曇り空で、景色はイマイチでしたが、稚内周辺のメジャーなスポットはおおむねまわることができました。
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